― なぜいま田中角栄なのか ―

『田中事件の本質とロッキード事件の真相』 再掲載の意義

昭和47年(1972年)7月の自民党総裁選は、日本だけでなく世界の耳目を集めたものだった。この総裁選で、田中角栄が佐藤栄作の支持を受けた福田赳夫を破り総裁就任「第64代内閣総理大臣」に就任した。田中角栄は当時「コンピューター付きブルドーザー」とあだ名されていた。首相になった田中は直ちに「日本列島改造論」に基づいた国内政策に着手すると同時に、外交も一気に加速させる。8月31日にホノルルでニクソン大統領との日米首脳会談を行った田中は、9月25日には大平正芳外相を伴って訪中したのだ。

戦後国交がなかった中国を日本の首相が訪問――この出来事だけ世界が激震した。
訪中したその日、田中は周恩来総理との第一回日中首脳会談を実現。翌26日には第二回首脳会談、次の27日には毛沢東主席を交えての第三回首脳会談、さらに28日も第四回日中首脳会談と両国首脳は互いに一歩も引かぬ交渉を続け、ついに9月29日、日中共同声明(日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明)が調印された。この共同声明で日本と中国は国交を正常化し、同時に日本は中華民国(台湾)と断交することになった。

それから2年後の昭和49年(1974年)10月、雑誌『文藝春秋』に立花隆「田中角栄研究」が掲載されるや、マスコミを挙げての田中の金脈問題追及が開始される。 
12月には内閣は総辞職して、田中角栄の886日間の政権は終了した。
昭和51年(1976年)2月、田中角栄は「受託収賄罪と外為法、外国貿易管理法違反容疑」で逮捕される。8月に保釈され、12月に行われた第34回総選挙ではトップ当選を果たす。
その後、大平正芳内閣・鈴木善幸内閣・中曽根康弘内閣では、自民党員ではない田中角栄が「闇将軍」として采配を振るったものだったが、昭和58年10月、東京地方裁判所は「懲役4年、追徴金5億円」の有罪判決を下す。
田中は即日控訴、そして同年12月の総選挙では22万票の圧倒的支持で当選を果たした―。
昭和58年10月の一審有罪判決が出た時点で、行政調査新聞社主・松本州弘は田中角栄と「ロッキード事件」について深い考察を開始した。
そして1カ月半後の11月末に『田中事件の本質とロッキード事件の真相』と題した小論文を公開したのである。当時、松本社主は心血を注いでこの小論文を書き上げたものだったが、取材・作成時間が短かったためか…「いま視ると些か言葉足らずの面大であった」(松本州弘談)と語っている。爾来33年、すでに多くの日本人にとって「田中角栄」「ロッキード事件」も遠い過去の話となった。誰もが忘れ去ってしまったと思われた。

今年2月の後半に読者の一人から行政調査新聞に電話があった。
「松本州弘社主が以前書かれた田中角栄に関する小論文をもう一度読みたい。送ってもらいたい」といった内容だった。30年以上前の話をなぜ今頃と思ったが、時にそのようなこともある。さして気にならなかった。同じような内容の電話がかかってきたとき、これは何かあると感じた。2人目の読者に事情を聞いてみると「石原慎太郎著『天才』を読んで、かなり以前に松本州弘社主が田中角栄とロッキード事件について書かれていたのを思い出したもので…」との答えをもらった。

石原慎太郎の新著『天才』は今年1月末に発売され、出版元幻冬舎は以下のような紹介文を載せている。「高等小学校卒という学歴ながら『日本列島改造論』を引っ提げて総理大臣に就任。比類なき決断力と実行力で大計の日中国交正常化を実現し、関越自動車道や上越新幹線を整備、生涯に30以上の議員立法を成立させるなど、激動の戦後政治を牽引した田中角栄(以下略)」(http://www.gentosha.co.jp/book/b9457.html

著者の石原慎太郎は当時、自民党内で若手中心の「青嵐会」を組織し、そのリーダーだった(青嵐会は別名「石原派」と呼ばれた)。タカ派を自認する青嵐会は、自由主義国家との連携こそ国際平和に貢献すると主張し、ソ連(現ロシア)・中国とは対立し米英を中心とする西側諸国との、緊密な連携こそ重要と考えていた。
そのため石原慎太郎は中国と国交回復を行った田中角栄と対立した。田中と対立し、田中の政治を決して認めようとはしなかった石原慎太郎が、なぜいま「田中角栄は天才」と謳い、田中がロッキード事件で葬り去られたことを嘆いているのだろうか。本書の中で石原は「知り合いの米国人記者が、刑事免責証言を適用した日本の裁判に疑義を示していた」と書いている。
米国自身、田中を逮捕し有罪にした日本の司法に仰天したというところが本当だろう。
たしかにあの裁判は異常だった。いま、振り返ってみても異常である。
あの異常さをまだ忘れていない日本人が何人もいる。

「田中角栄に関する小論文をもう一度読みたい」と電話をくださった最初の読者も、石原慎太郎『天才』を読んで刺激された方だったのかもしれない。だが3人目に電話をくださった方は、そうではなかった。「なぜかとつぜん思い出して、また読んでみたいと思いまして」。
―さしたる理由はなく、田中角栄ロッキード裁判のことが気になってきた―この感覚は重大である。いま米国は大統領予備選で盛り上がっている。
目下のところ共和党ドナルド・トランプ、民主党ヒラリー・クリントンが戦いを有利に進め、最終的にはトランプ対ヒラリーとなりそうだが、結着が着くのはまだ半年以上も先のことなので、この先どうなるかはわからない。だが、ヒラリーが勝ってもトランプが勝っても、米国は日本に対してそうとう厳しい態度に出てくることが予想される。

大統領選が戦わされている間は、いつものことだが米国は外交がお留守になる。任期をわずかしか残していないオバマ大統領はレームダック(死に体)化し、国内に向けての発言が多くなり、同盟国を軽んじる発言が目立つ。それはいつものことではあるが、今回はその傾向が顕著だ。だが、そうした当然の傾向とはかけ離れて、米国はいま大きな転換期を迎えている。世界がそれを理解している。その原因は、米国経済の先行き不安と「世界唯一の警察」に君臨してきた米国の凋落である。たとえばシリア問題にしても、もはや米国の手には負えず、ロシアに丸投げしたのが現実である。そして何より大きなことは、米国が信用を失いつつある現実だ。

田中角栄が日中国交回復、日中共同宣言を成し遂げたとき、そして石原慎太郎率いる青嵐会が田中角栄と対立していたとき、日本中の大多数の国民は「ソ連・中国は悪、米国は善」と考えていた。それが普通だった。ほんとうに米国が『善』で、ソ連や中国が『悪』だと考えていたのかどうかは別として、新聞もテレビも、あるいは井戸端会議でのおばちゃんたちの発言も、原則的には「アメリカは正義の味方」だった。
日本の自主独立外交など、誰ひとりとして考えるものはなかった――田中角栄を除いて。
いま時代が変わっている。「アメリカは正義の味方」と考える者などほとんどいない。逆に、「米国が悪くてロシアが正しいのではないか」と考える者のほうが多数派となっている。それなのに安倍晋三政権は米国べったりの姿勢を続けている。
米国の要求に応じて対中、対韓、対北朝鮮政策を行い、米国が求めるままに量的緩和を行って米国経済を助けようとしている。この姿勢に国民が疑問を感じ始めている。米国に隷属する政治姿勢に厭気がさしてきている。米国と絶縁するというのではなく、他国とも等距離に置いて自主独立路線を歩むべきではないのか――そうした雰囲気があふれ始めている。
そうした漠然とした思いが、行政調査新聞社主・松本州弘が30年以上も前に公開した『田中事件の本質とロッキード事件の真相』を再度浮上させようとする形となって表れた。そう判断できる。
以下にこの小論文をそのまま掲げようと思います。ただしこの論文は昭和58年11月末に書かれたものであって、その後いっさい手を加えておりません。
それをご理解の上お読みいただければ幸いです。

田中事件の本質とロッキード事件の真相

本稿は行政調査新聞社社主・松本州弘が昭和58年11月30日「田中政治とロッキード事件」を考察し、公開したものです。

― は じ め に ―

本年10月12日事件判決は、われわれに多大な衝撃をもたらした。
政治的立場を異にする総括的な意味での在野政治勢力ごとの受け止め方は複雑多様であったが、一連の田中問題に頭初から割り切れないものを感じていたわれわれは、判決を機会に改めて田中政治と人間田中を吟味した。田中政治に対し、従来の在野政治勢力が取ってきた立場は総じて批判的だった。
(一)日中国交正常化は、日本が共産主義集団と手を組むことを意味し、(二)日本列島改造政策は国土の乱開発と狂乱物価を招いた。(三)金脈問題は政治を私欲に利用した典型であったし、(四)ロッキード事件は、一国の総理が外国の企業から政治献金を受取った事件と認識した。在野政治勢力の大部分が唱える反田中政治の反対理由は以上であった。しかし、在野政治勢力の一人であるわれわれの集団は、一般に伝わる反対理由に反田中政治勢力とマスコミの関与を感じとり、額面通りの受け止めかたはしなかった。

いわば試行錯誤の田中認識のうちに10年余りの歳月が過ぎた。
もやもやしたわれわれの田中認識に、一大覚醒をつきつけたのが10・12判決だった。
故にわれわれは立ち上り田中政治の上面でなく、眼に見えない部分を研究した。迷いに迷い試行錯誤を続けた、われわれの予見が正しかったことをこの研究は教えた。
しかし本稿は、研究のすべてを発表するに足りる時間の余裕がなく、ダイジェストであることをお詫びしておかなければならない。

以下は、われわれが最大の努力をはらって解明した、眼には見えなかった田中政治の全容の一部である。われわれは吟味の成果を土台に在来の田中認識を一掃し、断固田中支持の立場を確立した。激動する現社会の現状に未来社会は別としても、いま最も必要なのは、田中政治と田中的政治家である。筆者はここに田中政治の愛国的・救国的全容を明らかにして、マスコミの害毒に侵されて未だ迷える一部国民の皆さんに覚醒を促す所存である。

1:田中政治と田中の慧眼

まず、田中政治の足跡を研究したものをダイジェストしてみよう。
田中政治の驚異的な洞察力は田中氏が総理に就任する以前、既に国際政治の場で発揮されていた。自民党幹事長時代の田中氏は、天与の超人的慧眼で世界を睨んでいた。
世界の平和を只一筋に念願する彼は、東西両陣営の相互理解を達成する目的で世界の常識を破り、犬猿の仲以上の角づき合いを演じていた米国と中共の接近工作の大芝居を打った。名古屋に来た米国の卓球選手を北京に送り、史上初めて米中親交の舞台演出を敢行、その成功を機に次はキッシンジャー大統領補佐官と周恩来中共首相の蜜月会談を工作した。世に言うピンポン外交の始まりで、外交の成果は全世界の陣営に雪融けムードを醸し出した。機を見るにかけては世界第一級の手腕をもつ田中氏は、国際外交の常識を無視して「一挙ニクソン米国大統領と毛沢東中共主席の会談」を実現した。
田中政治の特徴は独断と専行にある。だが彼田中の独断と専行は、単なる思いつきや場当り的な政治でなく、深く潜行した思慮と頭脳コンピューターで得た回答の政策化だった。

世界の大勢・国内の大勢は、この時期に米中が握手するなど夢の中の出来事と思っていた。然るに田中氏は断行し実現した。田中氏がこの時を選び、世界の緊張を融和の方向に導いた主因は、正に田中氏の外交的慧眼と国際情勢を見抜く洞察力にあった。
中共の核武装・文化大革命後に起こる中共内部の政治変動の予測は、田中氏の主要外交課題を中共に向けさせた原因だった。
中共とは別に、西側が東側と融和を計らねばならない原因が他にもあった。
第三世界・石油産出国の動向も、当時の国際情勢を見る上で重要な課題だった。
田中氏の慧眼はこの時既に、東西両陣営が一丸となって第三世界の石油攻勢に対応する必要を読んでいた。そのために田中氏は、時期尚早の批難を覚悟のうえで米中接近の脚本を練り演出した。初期の政治目的を達成した田中氏は、今度自らが首相となるや、間髪をいれず日中国交正常化に取り組み大成功を納めた。
ピンポン外交から発展した米中の接近、米中接近を足場にした国際緊張の緩和は、第三世界の無謀な石油戦略の出端を挫くと同時に、国際緊張を利用して世界征覇を企むソ連共産主義集団の機先を制する役割も果たした。

外交の大役を果たした田中政治は、政治の全力を投入して日本列島改造政策の実施に着手した。普通、列島改造政策は、経済の拡大と景気浮揚の面からのみ見られ勝ちである。このため政策の実施中に発生した物価パニック、狂乱物価の責任のすべてを列島改造政策に押しつけられてしまった。
田中政治が列島改造政策を敢えて強行した背後には、破産寸前の日本経済を瀬戸際で立ち直さなければならない問題が控えていた。池田・佐藤両内閣が推進した所得倍増政策は、ニクソンショックで大打撃を被り、もうどうにもならない局面に立たされていた。田中政治の大目的は、昭和恐慌・鍋底不況といわれた不況から経済を救済し、再び活気を与えることだった。「救国的国際政策」、これが新発足した田中内閣に課された至上問題だった。列島改造政策は大成功し経済は再び蘇り、企業も国民も共に喜び合った。
生活水準の驚異的な向上に浮かれた日本経済に、海の向こうから冷水が浴せられた。
第一次石油ショックの到来である。世界中が狂乱物価に踊らされ、その余波は日本経済にも飛び火し、とめどもない物価の高騰が日本中を見舞った。

田中内閣の救国経済政策は、海の向うの出来事が原因で途中挫折のやむなきに至った。しかしあれ程のショックにもかかわらず、日本経済は破綻も破滅もせず耐え抜いた。
その理由はなにか?
それは、田中氏が自民党幹事長時代に手を打っていた第三世界対策と田中・ニクソン盟約によるニクソンショックの緩和策、さらに列島改造政策によって力を備えた日本経済の実力だった。国際政治・国内政治とも上面だけでは何も判らない。真の政治は表に出ない裏側にある。われわれは、田中政治の再吟味でこのことを強烈に知らされた。
マスコミや国民一般は政治の表面に出た一部分、それも都合のよい部分だけを取り出して田中政治を批難する。ニクソンショック・石油ショックに続く狂乱物価の攻勢に耐えた日本経済の秘密は、田中政治が政治の表舞台に出さなかった部分、要するにコンピューター頭脳の緻密さをもって国家百年の大計で考え抜いた政治的貢献によるものである。われわれは、田中内閣の性格を殉難・殉国の内閣と評価してやまない。

2:金脈問題とロッキード事件の真相

金脈問題とロッキード事件は、決して無縁な事件ではなくその底流に流れるのは、三木元首相を首魁とする反田中政治勢力の田中追い落し謀略である。
彼らは金脈問題で田中内閣を潰し、ロッキード事件で田中角栄個人を血祭りにあげるべく画策し、作戦を押し進めた。どこまでも卑劣な彼らは金脈問題でマスコミを味方に引き入れ、反田中・田中壊滅の一大キャンペーンを張り田中内閣を潰した。
金脈問題で予想を上回る成功を納めた彼らは、続いてロッキード問題をデッチあげ反田中の攻勢を一段と強化した。金脈問題での反田中活動は、反田中政治勢力とマスコミ勢力の連合戦線であったがロッキード事件は、彼らに検察と裁判所が参加して大連合戦線を形成。田中攻勢に一段の拍車がかかった。彼らの謀略を分析すると次のようになる。主流の反田中政治勢力は、自民党内の反田中勢力・野党勢力と結託する一方で、米国謀略機関とも情を通じて政治的な「田中打倒作戦」を展開した。
他方マスコミ勢力は反田中キャンペーンを全国的に展開、闇雲な世論をデッチあげ田中角栄氏個人を私刑にかけつつ、世論を武器に検察・裁判所を牽制、法律を無視した態度を取るよう強要した。反田中勢力の意を受けた司法当局は、前例・慣習を無視した不当な「捜査と起訴」で反田中勢力とマスコミのご機嫌を窺い証人証拠調べの段階では、ことさら検察側の主張を採用して彼らに迎合する態度を示した。また結託した海外勢力は、法律的になんの値打ちもない「属託尋問調書」なる代物をわざわざ日本の検察に送り届けて、従順の姿勢を彼らに示した。

10・12判決は、以上に述べた反田中一大連合戦線の成果を世間に示す大デモンストレーションだった。法秩序を破り道理を逆なぜした10・12の判決は、日本の裁判史を土足で踏みにじるものである。被告の真実の叫びを一切聞かず、ただ世論だけに顔を向けた裁判所の姿勢は、法の公平原則から見ても容認できるものではない。
幸い日本の裁判制度は三審制で、田中角栄氏は未だ無実青天白日の人である。
内閣潰しのための金脈問題・角栄潰しのためのロッキード事件一切は、反田中政治勢力の謀略とマスコミの加担によってデッチあげられた事件である。
彼らの行為行動は、民主主義の原則を逆利用して起こした国民一般に対する挑戦と反逆の所業である。この事実も知らず、ただ「倫理だ」「正義だ」「世論だ」の言葉に踊らされて、彼ら一党の策略に同調する者は彼らと共に共通の地獄に落ちなければならないだろう。
国民一般はこの際一大覚醒して田中批難に馴らされた眼を、反田中勢力・私刑のマスコミに向け直さなければならない。

3:新田中政治への期待

所得倍増政策と日本列島改造政治によって達成された日本の経済大国化は、政治の指導とともに国民の意識がある一点に集中されたからである。その一点とは、国民すべてが田中角栄的に固まったことである。各人の顔形は違っていても物の考え方行動のしかたは、全て角栄的なものになった。一億総角栄化といっても決して言い過ぎではない。いまここで角栄を潰したらどうなるか。要するに一億総玉砕である。例を一つ挙げよう。
列島改造時代の国民は、老いも若きも男も女もおしなべて毎日の生活を喜々と送った。
しかし、時代が三木・福田・大平の時代になると、人びとの顔色は暗くなり神経症を訴える者が激増した。他方生活の方は所得も伸びず物価もあがり、日々の生活は苦しくなるばかりだ。正直なところ…国民の日々の生活に政治は直結していない。
腹に一物も二物も持った政治屋共が「やれ倫理だ、やれ政治浄化だ」と騒ぎ回ることなど雲の上のできごとにすぎない。ざっくばらんな話し、倫理の判が押された千円札より、いささか手垢に汚れていようとも一万円札の方が良いのは子供でも理解できる。国民が真に求めているのは田中角栄的な政治、要するに生活が即豊かになり、みんなが神経質に明日を考えなくても済む庶民政治である。田中を潰したら、日本民族も潰れてしまう。いまの政治の大問題はここにある。われわれ国民は、千円札を有難がる政治より、一万円札を有難がる政治を選ぶ権利がある。
そのために国民一般は、上級審で田中の無罪を勝ち取り、田中を再び日本の指導者に据えなければならない。天与の才能に恵まれた田中元首相は、国民の「本音」の願望を必ず叶えてくれることであろうことを、筆者は確信してやまない。

4-1:マスコミの専制主義

前章までは、田中元首相と田中政治のあり様を在野政治勢力の立場で解釈し、その結果として従来われわれが田中的なものを誤解と独断のうえに、構築してきた構図をあきらかにすると同時に10・12判決を契機に、われわれにおける田中政治認識が180度逆転した経過をダイジェストで述べた。後章は、われわれの立場、すなわち在野政治勢力の立場から離れて、より一般的な視点から田中元首相を検証してみようと思う。
このことは、かつてわれわれが犯した「誤解と偏見」にまつわる過ちの道に、一般国民を導かないための道しるべに役立てる意図が働くからである。ロッキード事件は10.12の判決で終わった訳ではない。むしろ、ロッキード事件の出発は、判決の日から出発するといっても過言ではない。ロッキード事件を取り巻く環境は、単に被告人が無罪であるか有罪であるかを問う前に、多くの社会問題を提起した。その一つに最近のマスコミがある。権力は大きくみて三権に分類される。一つは立法権で二つ目は司法権、それと行政権である。

民主政治の一般は、以上三つの権力を不可分的に調整したものから成立っている。
政治的意義の権力とは「権力は力なり」に集約され、力の行使方法に政治の善悪がある。「情報化社会」以前の民主政治は、三権に分岐された権力を相互調整することでうまい具合に運営された。情報の発達は、かかる従来の政治体系に変化を要求し、情報自体が一つの権力を獲得しようと動き出した。すなわちマスコミが第四の権力者になろうとしていることである。政治にしても、また経済・社会にしても、一つのものが強力な位置を占めようとする際は、その強力・強大を押える力がなんらかの形で作用するのが従来のパターンだった。

ものごとには、すべて表と裏があり表裏相対性原理がものごとの調整を計る。しかし、昨今の情報化社会は情報そのものの暴走に対して、それを抑制する機関機能がない。かかる現実の「情報化社会」のあり様を、単に情報化時代の過度期として片付ける訳にはいかない。
アメリカの社会学者アーサー・ミラーは「情報は権力なり」とマスコミを定義し、情報機関・情報産業の進むべき方途を示した。すなわち、マスコミそれ自体が権力としての性格をもっている。したがって一度マスコミが暴走すれば、それは権力の乱用となり社会に誤認と偏見をまき散らして、無用な混乱を人びとに与えるというものだ。さらに、ニューヨーク・ワールド紙の創刊者でピュリツァー賞の発議者であるピュリツァーは、権力のあり方を(一)公共奉仕(二)公共道徳(三)文学の振興(四)教育の発展に集約規定し、この原則に沿わないマスコミは単に社会の「扇動者」にすぎないと決めつけた。自らの使命に尽力するマスコミは、社会の奉仕者・正義の守護者になり得るが、この原則に反するマスコミは社会の「撹乱者」・「扇動者」だというのである。権力は力なり、情報は権力なりといわれる通り、たしかにマスコミの権力化は情報機関が力を自分のうちにもつことである。

前述したように、政治に示された権力は常に両刃の剣である。それが道理に沿って行使されれば社会に多大な貢献をもたらす一方で、非道理に用いられれば社会一般に混乱をきたし国民生活を害し毒するのである。
前述したアーサーミラー・ピュリツァーその他多くのマスコミ関係者が、19世紀末から20世紀初頭にかけてマスコミの権力化とそれに関連してマスコミの使命・マスコミの役割など、マスコミ権力抑制の必要を唱えたのは当時代すでにマスコミのもつ危険性を予見していたからである。政治とマスコミとの関係について見れば19世紀末のアメリカは、将来のマスコミの公害・マスコミによる個人被害の発生を予想し、憲法修正を含むマスコミ対策を実施している。

主な政治的施策は憲法の10ケ条修正項目に含まれ、合衆国憲法修正箇条に成文化されている。いわゆる「権利の章典」と呼ばれるもので内容の要旨は、マスコミの非権力化を規定し同時に、個人の権利がマスコミから保護されることを明文化したものである。
情報先進国であるアメリカは、マスコミの権力化という問題に最初に直面した国である。このため「情報の自由は民主主義政治の原点である」とマスコミの性格・立場を保障する反面で個人の「自由主義」を擁護するため厳しい規定による規制を行っている。アメリカに対して日本の情報対策には、未だ天地の開きがある。
アメリカのマスコミ規制が、主に個人のプライバシー権を保護しているのに対して日本のマスコミ規制は、単に「社会の常識」に準拠することが大である。もともと常識に確たる規定秩序がある訳もなく、マスコミがこれこそ常識だと主張すればマスコミの権力は「無法」的に拡大される。やや専門的になるが日本のマスコミ規制に関する法文を挙げれば、「刑法230条の名誉毅損条項、230条2の事実の証明項目と231条の侮辱についての項目」以外に「刑法」の分野に法文はない。
しかし以上の法律はマスコミ規制のため特に設けられたものでなく、その由来は明治憲法によって定められた「一般的」な名誉に対する罪の領域から出るものではない。
このことは、現在の日本にマスコミを取り締る法律が独立して設けられていないことの裏返しで、今日第四の権力として巨大化しつつあるマスコミは、何等の規制も受けず勝手気儘に行動していることになる。
両刃の剣であるマスコミの立場は、権力をもつが故に自らの規制と国民の監視を受けなければならない筈であるが、日本における今日のマスコミは自省力をもたず、さらに国民の監視を完全に否定している。特権階級の否定は、マスコミの絶対使命である。しかし現実のマスコミは、自分自身が特権階級になろうとし既に成り上っているのだ。
ロッキード事件は、現在のマスコミを考えるうえで貴重な問題提起を示した。
この際国民一般は、アメリカの例に倣って「日本のマスコミ」を再検討してみる必要がある。それは自分自身がマスコミの被害者・犠牲者にならないための安全保樟につながる重要な問題であるからだ。

4-2:調査報道と私刑

マスコミはロッキード事件報道を通じて一つの言葉を造語した。調査報道の名詞である。もともとマスコミの役割は、社会生活に必要なマスコミが「媒体」となって一般大衆に伝達することである。マスコミが自分の意思で情報を作り受け取る側の考えかたまで、自由にコントロールしようなどとするやりかたは本来の役割ではない。
マスコミが正しい道理に従うときは、マスコミュニケーションの担い手として社会に奉仕する役割に適うが、道理に外れて「自らの意図」を強調するとき、その立場は使命に反逆したものとなる。世界を破壊に導いたナチスドイツは、宣伝相ゲッベルスを中心に猛烈な情報生産を行って、ドイツ国民を戦争へ駆り出した。
彼ゲッベルスは、もともとマスコミ人でもジャーナリストでもなく生粋の学者、それも哲学者だった。ハイデルベルグ大学で教鞭をとる彼にヒトラーが声をかけた狙いは、彼に情報を生産させるためで、そのために哲学を専攻する彼は「無実から有実の情報を捏造する」役割に最も適していた。
ナチスの特徴は宣伝にあった。その理由は政権機構の中にゲッベルスがいたからに他ならない。野獣に優る慧眼をもったヒトラーは、すでにこの時点でマスコミの重要さを認識していた。ゲッベルスによる哲学的・フロイト的・レーニン的な巧妙かつあくどい宣伝作戦は、ドイツ国内だけでなく西欧全域を恐怖の坩堝に投げ込んだ。
話が少し脇道に逸れてしまったが、要はマスコミの力はゲッベルスに見られる如く、一歩誤れば社会に混乱を生じるどころか国家民族さえ破滅に導く恐怖をもっているということである。ロッキード事件に関する全般の報道も、その根底にあるのは、ゲッベルス的な情報の捏造でその突破口は調査報道である。
ここで調査報道の一例を引用しょう。
ロッキード事件丸紅ルートの第1回公判が開始され、191回目に全審理の結果が裁判所によって明示された。すなわち判決の言い渡しであり、10・12の判決だった。しかし、朝日新聞の11日付朝刊は、裁判所の判決に1日先行して「田中有罪」の記事を載せたのである。
いうまでもなく被告人を裁くのは裁判所であって、それ以外の者に被告人を裁くことは許されていない。これは法治国家のイロハであって、その後の法律はすべてこの原則から出発する。いやしくも社会正義を言論の拠り所とする新聞社において、この道理を知らぬ筈はない。だが朝日新聞は敢えてこの道理に逆らってマスコミの秩序を破った。

そもそも公判続行中の報道については社会に与える影響、裁判に与える誤解と予断への影響から報道の範囲は「公共の刑審に関する事実と公益を図るための目的」に限定、また制限されなければならない。続行中の裁判について外野席からガヤガヤ騒ぎ回ることは、それ自体裁判所の権威を損なうもので、社会常識から見ても許されるものではない。しかるに朝日新聞は言論界の常識を破って、裁判所の判決以前に朝日新聞の「判決」を発表した。
「判決」した朝日新聞の主張に、一般読者は田中有罪の「心証」をもった。そして朝日新聞の世論調査とする国民の80%が、田中有罪を想定している状況によって事前判決したのだという。心証は裁判官の重要な要件に所属するものであるが、国民、さらに一般読者は新聞社の心証など一切必要としない。

読者が新聞に求めるのは事実だけの記事で、新聞社の勝手な心証は有難迷惑である。また、朝日新聞の唱える国民の80%が望む「判決」にいたっては、何をかいわんやである。事件について最大公約数的に知ることのできるのは裁判所である。建前を措いて本音をいえば実のところ一般は何も知ってはいない、知っているとすれば少なくともそれは報道されたことだけである。
報道のもつ宿命は、ことの良し悪しを別にして報道自体がフィルターの役目を果たしてしまうことである。このフィルター的機能は報道機関の性格を決定づけるもので、一つの事実が多くの報道機関によって報道されると、報道される事実が報道機関の数に比例して多角的になる原因である。したがって、特定のマスコミが意図して田中有罪の情報を公判中に流せば、事実を知らされず、ただフィルターをかけた情報だけに接している一般読者は「事前」に有罪説を支持しても当然である。朝日新聞による80%の国民が田中有罪を信じている根拠は、いかにも朝日新聞的な理由によっている。

若干専門的な話に触れさせて戴くが、最近新聞協会が行った調査データによれば、国民の新聞に対する信頼度は「無条件に信頼する」「一応信頼する」を合せて55%だ、残り45%は「信頼しない」ではないが、「一部判らない」を除き新聞を信頼していない。このデータからして、朝日新聞のいう「80%」の数字は、どこから導き出したものであろう。
新聞を信頼する55パーセントから引き出した80%は、すなわち44%にしかならない。
「一部判らない」を除いても、朝日新聞的な言い分にしたがえば、田中有罪説支持者は44%で国民の半数を割っている。さらに、世論調査に示されるデータにも、多くの疑問が残されている。
統計学による世論調査の対象者は、3000人である。3000人の意見が国民の意見を代表しているというものである。たしかに、統計学にいう根拠にはそれなりの理由があるかも知れないが、要するに、その3000人をいかにして選ぶかである。方法としては無作為抽出の手段もあるが、この手法にまったくの公正を期すことはできない。したがって、新聞社が主張する各種のデータは、いずれもこのような不確実な根拠によって示されている。
前出したナチスの宣伝相ゲッベルスは、極めて朝日新聞的な方法を駆使して、情報天国ドイツ・宣伝王国ナチスを構築した。新聞社が社会的公正の使命を放棄して、自身の意図を世論化する最大の武器は調査報道であり、これに優る手段はない。

先に新聞的フィルターの宿命について述べたが、調査の宿命的条件についても若干触れてみよう。調査の技術的宿命は、主客の混同と対象に対する偏見である。調査を行う者にとって、調査目的そのものに無偏見で立ち向うことはできない。それはあるものが調査の対象となったこと自体「何がある」がまず前提となり、続いてその何かを暴くことが目的化される。
「田中は確かに有罪だ、よしそれなら俺が有罪の根拠を握ってやろう」これが調査報道に従事する者の第一偏見である。同時に、これが新聞社の総意となった場合、この偏見は正義の証しにもなってしまう。ある事実に直面したとき、無偏見の者には、ごく当り前に映っても、偏見をもつ者はその当り前が巨大に見える。
最近、泰野法相が「マスコミのリンチ」発言をして世間を騒がせた。この例もマスコミの現状を知る者にとっては、ごく当り前の発言であっても、田中擁護派としての泰野視角に凝り固まった者にとっては、国民感情を逆なでする暴言と聞えるだろう。

調査をさらに分析すれば目的が白の証明を求める場合と、逆に黒の証明を求める場合とでは、調査の方法から点と線を結ぶ調査テクニック・証言者・証拠資料の選びかたまで根本から違ってくる。通常裁判所の審理は白から出発し、公判の過程で白黒を峻別するのを原則とするが、調査の過程は逆方向に進み、やむをえない場合に限り白を表に出すに過ぎない。周知の通り裁判の原則は「疑わしきは罪せず」であるが、調査の原則はこの法則を逆であるとする。したがって、調査報道の言葉が意味するものは対象をトコトン追い詰め、無理矢理何かを引き出すことにある。
調査報道が単に社会の一現象に向けられた場合、受け取る側に興味ある情報の提供を可能にするが、これが犯罪報道となった暁には被害者はいうにおよばず社会一般、終には裁判にまで影響を波及する。
「調査報道にやり過ぎはない」と口にするのは担当の記者たちだけである。
彼らにとって、彼らの行動がいかに人権を蹂躙するものであっても、また社会の公序良俗に反するものであろうとも、彼らは常に喰い足りなさを感じている。

マスコミの強引な取材活動を支える法的根拠は、1969年に出された最高裁大法廷の判例である。最高裁は福岡事件の上告審で、マスコミの取材権を拡大解釈して取材権の法律的合法性を認めた。上告審そのものはマスコミの敗訴となったが、付帯意見で取材の自由が大幅に承認された判決だった。しかし、この判決で示された取材権は、現在の「なにがなんでも式」の取材まで認めたものではなく、道理に適った範囲内に限定している。もちろん当時は、調査報道などという取材のケースはなかった。
だが今日のマスコミは、福岡事件の最高裁判例が恰も今日の調査報道まで合法化しているものと誤認し、ロッキード事件報道に見られるが如き取材と報道を正当化している。
朝日新聞の「10・11判決」は確かに調査報道の所産かも知れない。だが「判決の根拠が」前出した心証と国民80%の支持だけでは、余りにも大新聞の名前が泣くというものである。
冒頭に述べた如く、新聞に代表されるマスコミがいかに権力化しようとも、マスコミの役割は情報の伝達であって、裁判所の代理機関ではない。そのマスコミが裁判所の決定に先立って判決の断定を行うなどは言語道断であり、社会良俗に反逆する行為である。

ロッキード事件判決に際して、裁判に予断を与えかねない報道の是非は、多くの識者によって論じられた。その是非の結論は、上級審によって示されるのであろうが、ならば調査報道によって傷つけられた田中元首相らの人権は、どの機関によって回復されるのであろうか。
調査報道の最たる被害者田中元首相は、「6カ年半にわたるマスコミ・ジャーナリズムの状態は、公人としての私にたいする社会的制裁の一つと考え、精神的苦痛にも耐えてきたし、これからもまた耐え忍んでいく覚悟だ。」と判決後の「所懐」で語っている。
正真正銘、田中元首相の有罪は確定した訳ではなく、上級審における無罪の確率は充分高い。田中所懐もいう如く、6年半におよぶマスコミの田中いじめは壮絶を極めた。とくに朝日新聞の田中報道は、調査報道の手段を駆使して田中いじめを敢行し、社会悪のすべてを田中元首相に転嫁してやまなかった。調査報道の行き着くところは、報道される者への私刑である。20世紀の現代マスコミが自身の中にもつ魔女的サディズムを駆って特定人物を私刑にかけるあり様は、結果において自身がマゾヒズムに堕ちることを意味している。

4-3:田中元首相とマスコミ

「故なくして、人を謗る者は奈落に堕ち、故あって、人を謗る者は地獄に堕ちる」は、古人の教えである。朝日新聞・毎日新聞その他マスコミによる田中誹謗は、前句を借用して理解すれば、故あって田中を謗る部類にはいる。
朝日主導によるマスコミ界は過去10年間、金脈問題・ロッキード問題で終始一貫田中元首相を攻撃し続けてきた。そして、その一里塚が10・12判決だった。
「金脈」問題がどのような経過を辿り、田中内閣の命脈を断ったか知る者は多い。
庶民宰相として華々しい船出を飾り、多くの国家的事業を達成した田中内閣は、プロの政治家を自負し政界に君臨する三木・福田両元首相らにとって決して愉快なものでなかった。良くも悪くも政界は両頭三面、神出鬼没の世界である。一人の政治家・一つの内閣を葬るなどは、その気になれば易いことである。
権謀術数にジャーナリズムが加担すれば、この人間社会でできないことはない。
人の欠点は、その人の長所のなかに含まれている。経済に強い田中内閣は、同時に欠点を経済のなかにもっていた。列島改造政策の善政部門が逆に、田中元首相の個人攻撃に利用されたのである。大人物の条件は肥大小心である。大きな仕事をなす人物は、わが事において小心でなければならない。
思わぬ失策、まさかと思われる小事が結果的に命取りとなる。金脈問題は、田中元首相のまさかの小事、思わぬ失策がマスコミに取りあげられて大きな問題に発展したにすぎない。
金脈問題の結着は、文字通り「竜頭蛇尾」「大山鳴動して鼠一匹」も出ずして終った。もともと何もないところに煙を立てた事件である以上、鼠一匹も出なかったことは当然である。だが、金脈問題の根は金脈事件の一部始終にあるのではなく、行政の最高機関である内閣を総理総裁の個人攻撃によって葬ったことにある。政争は政策でなければならない。

権力闘争に「第三者勢力のマスコミ」を引き込み、「マスコミの調査報道」を利用して対立者を抹殺するやりかたは、もはや政治でなく世俗の戦いである。
権力に利用されるマスコミの恐怖は、前章でもたびたび触れたが、金脈問題にみられる三木・福田、それと彼らに同調する政治勢力および意図をもったマスコミの結託は、この10年間の政治を国民から切り離した原因である。
しかし飽くなき彼らは、金脈問題で田中内閣を葬った余勢を駆って、今度は田中元首相を葬るため「ロッキード事件」をデッチあげる悪辣振りを発揮した。
金脈問題で第二次田中内閣をお釈迦にした反田中勢力の主役は、三木・福田元首相を中心にした政治勢力で、これに利用され協力したのがマスコミ権力と、これにいやしく便乗したのが野党である。これに対してロッキード事件は、当初こそ政治勢力が主役の役割を果たしたが、初公判が開かれた以後はマスコミ勢力が主役の座にのぼり政治勢力は影に回った。
主役の交替は、政治勢力の残忍・破倫理・狡猾のイメージを国民の眼から隠蔽するためで、両事件を通して裏側に蠢くのは隠惨な性格をもつ政治勢力である。
両勢力の共通目的が田中打倒で一致していることは、政治勢力の動きとマスコミ勢の動向から明らかに読み取れる。彼らが取りあげる金脈問題も…またロッキード事件も…要は、田中元首相を攻撃するための一材料にすぎず、若し金脈・ロッキード事件がなかったら、彼らは別な事件をデッチあげたに相違いない。

金脈問題・ロッキード事件を捏造した彼にとって、架空の事件を「創造」することは容易なことであって、政治の世界にはそのような材料は無数に散在している。
政治的謀略を武器にする政治勢力と、調査報道を武器にするマスコミ勢力が手を組めば、いまの社会は、政治・経済を含めて格好な狂言まわしの舞台となる。
国民にとって、田中金脈問題・ロッキード事件から学びとるものは大きい。 国民一人ひとりは、両事件を単に田中元首相個人の問題と見ずに、社会全体の問題として受け止めなければならない。幸い、両事件とも庶民生活と直接関係のない場所で起こった事件である。だが、このような事件は、庶民生活の場でいつ起きても不思議ではない。

特定権力者による個人攻撃…マスコミによる個人私刑…等々の事件は、一見無関係と思われる庶民生活の場にもたやすく入り込んでくるかも知れないのである。
地域社会、職場そして家庭のなかにさえ、その原因は潜んでいるといっても過言ではない。被疑者にされた人、その被疑者をもつ家庭、それを取り巻く縁者は、ひとたび調査報道の餌食になったら最後、徹頭徹尾何もかも破壊し尽されてしまうことは、日常マスコミ情報に接している者が熟知している通りである。
このような場合、その被疑者が白か黒かは問題外で田中元首相に見られる如く、例え真実が「無罪」であっても大衆という名の権力とマスコミ権力は合体して、まず社会的な私刑を加え、次いでマスコミの致命的な徹底した私刑が加えられる。
被疑者が心血を吐露して真実を叫んでも、家族が生命を賭して無実を叫ぼうが、マスコミの手によって既に有罪の「判決」を下された者の叫喚は、あたら引かれ者の小唄の値打ちしか持ち得ない。金脈問題やロッキード事件が、国民に示した恐怖はここにある。
いま田中元首相が絶対無罪を叫んでも、国民の44%は疑いの耳でしか聴かない。しかし、田中元首相を特別な人と見るのではなく、同邦の一人として受けとめるならば、田中元首相の無罪主張を謙虚に聞いてもしかるべきである。
本章を締めくくるに当たって、柏木元日弁連会長の意義ある一文を借用記載する。

「……犯罪事実に関する報道は、巨大化したマスメディアの手を通じていく千万の人びとに対し、起訴前においてすでに罪を犯した悪人として印象づけ、その社会的地位も名誉も奪いかねない。一方被疑者の無実の訴えや弁解は同程度の強力な手段をもって社会に知らせる方法はなく、人違いであったり証拠不充分なために不起訴になった場合においても、有罪者としての烙印は消し難い……」 ( 著者「人権とマスコミ」より引用 )

5-1:10・12判決の意義

振り返ってロッキード事件の経過を検証すると、そこにはロッキード事件でしか見ることができない数々の疑問に突き当たる。米上院多国籍企業小委員会で、コーチャン・クラッター両ロッキード社関係者が証言したのは、51年2月4日だった。この証言を受けて、検察庁・警視庁それに国税庁が合同調査体制を組んだのが2月24日、そして5ケ月後の7月27日には田中元首相を検察庁が逮捕している。

事件発生からわずか5ケ月後に中心人物を逮捕するなどは、従来の疑獄事件に見ることのできなかった素早い対応である。とくに、コーチャンの証言の直後、検察・警察・国税が一糸乱れぬ動きを示し、20日後には合同調査本部を設け数百人におよぶ捜査員を定めて捜査に着手している。
従来の疑獄事件捜査は、事件発覚から中心人物の逮捕まで相当の期間を必要とした。
また特別合同捜査本部の設置は、各庁の意見調整に手間取り短時期内の設置はできなかった。ロッキード事件の捜査では数々の例を破って、あたかも予定された行動の如く検察・警察・国税が動いた。しかも事件が表面化したのは、国内ではなく多くの外交的枠組の違いがあるアメリカだった。

国内の疑獄事件でさえ事件の表面化までに相当な期問を要するのに外国に端を発した事件が、このような短期間に国内の事件に発展した理由は常識的にみて理解できない。
理解できないのは、捜査側の素早い対応だけではない。普通、疑獄事件捜査は、検察・警察の合同捜査で進められる。捜査の記録は検察・警察ともに二部ずつ作られ、それぞれが各一部をもつのが習わしである。だが、ロッキード事件の捜査については、捜査の総括資料が警視庁にないという。警視庁にあるロッキード事件の資料は単なる事件概要資料だけで、捜査二課を中心に140余人の捜査員を投入して行ったロッキード事件捜査の総括資料が警視庁にないというのである。
何故か…。その理由は部外者の知るところではないが、釈然としない多くの疑問を感じる。ロッキード事件で逮捕された被疑者は総勢18人である。
その内訳は、東京地検の逮捕14人、警視庁の逮捕は4人である。疑獄事件の場合、中心人物の逮捕は地検が行っているが、その他の被疑者は概ね警視庁の担当である。
にもかかわらずロッキード事件については「合同捜査」の先例を度外視して、18名中14名までが東京地検逮捕である。捜査の段階と同じく、被疑者の逮捕もなぜか検察中心に進められた。捜査・逮捕で補助役に回された警視庁は、その他のケースでも無視され続けた。
捜査続行中、コーチャン証言に関係したアメリカ側の秘密資料が検察側に届けられた。届けられた資料について、警察側はツンボ座敷におかれた。
不公平な扱いに業を煮やした「土田警視総監が検察に異議を申し入れた結果」2週問後、検察は秘密資料の写しを警察側に渡したが、資料の重要部分700ページがカットされており、資料からアメリカ側の秘密事項全般を読み取ることはできなかったという。
検察・警察の対立を恐れた警視庁は、このことについて関係者に緘口令を敷いた。発覚から「捜査着手・捜査から捜査の続行・起訴」になるロッキード事件の全般は、まったくの異例づくめだった。終始検察中心の捜査で重要捜査については警察側の介入さえ拒否し、捜査内容の外部流出を検察は極端に恐れた模様である。
捜査の段階で「被疑者のしぼりこみ・関係者の一人ひとりの扱い・職務権限の解釈」等々で謎に満ちた多くの具体例もあるが、ここでは省くとしてロッキード事件の「検察・警察合同捜査」は、実は「検察主導・警察補助協力の捜査」だった。
慣習を無視した検察側の態度は、一体何を意味しているのか。第三者は知る由もないが、このようにして行われた捜査と、捜査結果によって田中元首相は逮捕され、そして起訴された。法律の定めるところにより東京地方裁判所は、ロッキード事件丸紅ルートの公判を52年1月27日に開始した。検察が裁判所に提出した資料は、前掲した捜査によって得たもので外部の闖入を一切拒否して作りあげた資料だった。ロッキード事件捜査に関し検察側が取った頑なな姿勢は、関係者にとっていまでも深い謎である。

検察のこのような姿勢は、後日、ロッキード事件のアメリカFBI謀略説、日中親密化を恐れるソ連国家保安委員会KGBの謀略説、果ては経済で世界席巻を企むユダヤ資本の謀略説まで取沙汰される原因となった。外国の謀略説はどこまでが真で、どこが偽であるか確かめる手だてはないが、ロッキード事件についてその背後に「巨大な力」があったことは否定できない。初公判開始から7年、実に190回の公判を重ねて、191回目の判決の日となった。10・12判決は、周知の通り被告全員有罪の宣告だった。総理の犯罪を裁くとして喧伝されたこの日の判決は、裁判史上消し去ることのできない汚点を残した。

判決の法律的解釈は措くとして、判決の意味するところは、正に「中世の魔女裁判」を思わせるもので、そこには法律の公正性・司法の独立性を窺わせる要因は一点たりとも認められない。この判決がいかに欺瞞に満ちたものであったかを証すものとして、判決後に記者会見した検事総長の言葉から読み取ることができる。検察側の勝利宣言であった当日の発言は、検察捜査・公判維持全般が「国民の強い支持と支援によって行なわれた」に貫かれていた。この言葉は根底において間違っている。少なくとも法治国家の法運用は、法律に従わなければならない。
わが国の法体系は三権分立で、司法に対する立法・行政の介入は許されていない。
検察の立場および裁判も、この法体系から見れば完全に独立した性格をもち、いかなる勢力・権力とも関係してはならない筈のものである。然るに、検事総長の発言は明確に第三勢力、すなわち「国民」が関与したことを明らかにしている。
では検事総長に問いたい。若し、国民一般が無関心か、反対かの場合…貴方は、捜査・公判維持をどのようにしてやるのか…と。戦後多くの冤罪事件が法廷史を汚した。
ある事件で被告人が裁かれた場合、この裁判が世間の注目を浴びず、また関心を呼ぶものでなかったから彼は有罪と断定された。しかし再審裁判は世間の注目するところとなり「国民が彼を支持」したから無罪にしたとでも弁解するであろうか。
司法の活動は、警察・検察・裁判の全過程で完全に独立したものでなければならない。捜査・公判が公正であればあるほど、国民の支持も支援も必要としない。

裁判の目的は「真実の発見と公正な審理」に尽きる。当初から検察による不当な捜査と、不公平な公判運用に振り回されたロッキード事件は裁判においても同じ扱いを受け、参考人の証言・証拠品の採否についても、検察側の圧倒的優位のうちに進められた。この不公平な公判運用は、金銭授受に関する証言と証拠物件真贋の鑑定、さらにアメリカから届けられた「嘱託尋問調書」の証拠採用決定に見ることができる。
2、3の法律的解釈は次章に譲るとして、10・12有罪判決は起訴時点の疑惑をそのまま受け継いだ形で進められ、ロッキード事件そのものがもつ多くの疑問・疑惑を一切解明しないまま判決に至っている。

判決直後、法相の経験がある古井喜実氏は「この裁判は間違っている」と明言し、検察の偏見と独断による公判維持を批難した。検察のいう国民の支持は、同時に検察の独断とファッショを示す言葉である。果たしてこの判決に全面的な支持を与えたのは、全国民であっただろうか。検察の不可思議な捜査・裁判所の検察寄り公判運営に疑問をもち、その結果として判決に疑念を抱いた者は、検察のいう「国民」の中に含まれていないのだろうか。
ロッキード事件の10・12判決の背景には、いろいろな力が働いていることは前にも述べた。それが故に、ロッキード事件判決はあのような道理に反したものとなり「無茶苦茶判決」と批判されるに至ったといえる。

国民支持による国民寄りの「判決」は、人民裁判の道理である。検察総長の発言・司法関係者の発言、少なくともロッキード事件裁判が人民裁判であったことを裏付けている。民主主義の原点は、国民が「主」であることにある。だが、いくら主であっても法律という厳粛な世界に、国民が世論という武器を携えて土足のまま入り込むことは許されない。判決後に発表された田中「所感」は、この判決は「政治に暗黒を招く」と述べている。
田中元首相に限らず、10・12判決をそのまま鵜呑みにすることは、政治は勿論のこと、社会全般が暗黒化するかも知れない危険を大いにはらんでいる、10・12判決は、法のありかたを改めて国民に問いかける判決であった。

5-2:真実に背を向ける世論の偽善

マスコミが日常的に使う言葉は世論である。世論はマスコミの守護神であると同時に、具合の悪いときに逃げこむ避難所でもある。しかし、世論がただ彼らマスコミの守護神である場合は、社会に大した毒害を招かないが世論がひと度武器となり、特定の人を攻撃すれば、攻撃される側にとっては核爆弾にも匹敵する脅威をもたらす。
少し古い俳句の引用で申し訳ないが、安土桃山時代の禅僧雄長老は「いつわりのある世なりけり神無月…」と詠んでいる。この引用に、神無月の名詞はとくに関係ないが引用の要旨は「いつわりのある世なりけり」である。
社会というものは、皆が共同して暮らすところであり、各人の思いが集約されて、社会の意思をつくるところである。この意思がいわば世論であって、社会を動かす力である。
したがって社会の意思、すなわち世論は真実とか正義とかに関係なく、ただ皆が良いと思うことが集積されて一つの形をつくったものである。たしかに大衆の意思が集められてできた世論には「巨大な力」がある。フランス文化を破壊し尽くしたフランス革命、世界を破滅の淵に追い込んだナチスドイツ等々の力も、その根は世論という怪物だった。

今日現在、暴徒と化した当時のフランス大衆を弁護するものはいないだろう、ナチスドイツの国民を正義の徒と称賛する者はいないだろう。だが、その時代の大衆・国民は、その時代の「世論」が正しくて世論に従うことが愛国者の義務だと思ったのである。
彼らは世論の指し示す方向に進み、そして世論に従い結果としてその世論が大変に間違っていたことを知らされた。禅僧雄長老の言葉を引用するまでもなく、社会というものには偽りはつきものであり、また、偽りがあるから社会でもある。
本来の世論は、自然発生的につくられるものである。このようにして出来た世論は、余程のことがない限り人びとを誤った道に導くことはない。フランス革命・ナチスドイツの暴徒等々の原動力となった「世論」を、自然発生的に出来上った世論と信じる者はまずいないだろう。然りである。「革命の世論・社会変化の世論」、国民をある一定の方向に引っ張っていこうとする世論は、すべて人工的・人為的に作られた世論である。
自然の力が作用して出来た世論の「偽り」は、人びとの困窮し切った生活に一服の潤いを与えてくれる大きさがあった。また、偽りを認め合うことで心の救いともなった。だが、人為的に作りあげられた「世論」は、筋道が通っていればいるほど潤いとか心の救いとかに縁がなく、強制的・攻撃的に一般大衆の意思をある一点に誘導してしまう。
田中時代の田中元首相は、人為的な世論がある一点に集中されたところで一斉攻撃された。その一点に「金脈問題があり、ロッキード事件」があった。前段で世論の性格を述べたが、マスコミの世論形成にとって最も肝心なのは、大衆受けのするニュースと尤もらしい社会主義を謳いあげる論調である。
ニュースの立場・社会主義の立場から見ても、金脈問題・ロッキード事件は二つとない材料をマスコミに提供した。熟語に針小棒大というのがある。彼らは、最初針小にしか過ぎなかった両事件をある意思・意図をもって、敢えて棒大したのである。

反田中の世論を作りあげようとする彼らにとって、真実は絶対の邪魔物であったし、また「世論」を受け取る側の一般大衆にしても「良薬は口に苦し」で、真実を聞くよりスキャンダラスに作り替えられた情報を選んだのだ。
金脈問題に端を発した田中元首相の攻撃の「世論」は、巨大な力をもって「田中の真実」を圧倒しながらロッキード事件へと発展し、最後は司法の三権分立さえ脅かす勢力となった。世論の前に真実が敗北した前例は多い。いま、一つ一つ例証することはできないが、真実が真実として通用しない社会は、暗黒社会である。同時に、世論が真実に背を向けた結果の恐ろしさは計り知れないものがある。
禅僧雄長老が嘆いた偽りのある世を、少しでも偽りのない世の中にするためにも、田中元首相が主張する「真相と真実」に耳を傾けなければならないであろう。人為的な世論の偽善を見定めて偽善の関与しない世論を作ることは、自分たちの平和な生活に直接関係してくる問題である。

5-3:田中元首相の実像と虚像

「金脈問題・ロッキード事件」報道に従事した記者たちの言葉に、ある点で共通 したものがある。記者たちの目に映る元首相像は、はっきり二つに分かれるという。
一つは、被告人として世論の糾弾を浴びる元首相であり、他の一つは、すべてが明け広げで些事にこだわるところのない懐の大きさをもつ元首相だという。

もともと精神に異常をきたした病気でもない限り、一人の人間に二つの顔がある訳ではなし、この記者たちの言葉が示す意味は極めて大きく、記者たちの目に映るどちらかの元首相が本物で他は偽物である。常識的にみて永年の経験、その人の歩いてきた道から修得してできた人柄は、急に隠そうとしても隠し通せるものではなく意識されないまま本物の姿を現出する。これに対して他者の意図によって作りあげられた「その人」は、意図した者の意思にしたがった人間になって人びとの前に押し出される。

個人とマスコミとの関係は、小事・大事の別なく常に本物を偽物とすり替えて人びとの前に晒しものとする。したがってマスコミによって報道される個人は実像とマスコミ用の偽者、即ち虚像の二つに分断される。
前出した記者たちの言葉は、この実像と虚像のありかたを如実に言い当てたもので、マスコミというものが個人のもつ尊厳も気高さも容赦なく踏みにじり、勝手気儘な手法によって「虚像」をつくりあげるさまが手に取るように判るというものである。
普通、虚像の呼び名は、反道徳的な暗いイメージを人びとに与える。だが「本人の意思によって作られた虚像」はそのものズバリであるが、マスコミによって作られた虚像は実像つまり本人と一切がかわりなく時には暗く、ある時は明るく変貌自在な姿を現わすのである。

ロッキード事件に際して田中元首相の虚像が背負わされたイメージは、金権であり…数の亡者であり…闇将軍のそれであった。また、マスコミが虚像に投げつけた名詞は、刑事被告人・あくなき権力追求者・世論への挑戦者等々だった。
巷間伝えられるところによると、10・12判決の法廷に臨む日の朝、元首相は自宅で側近の人たちに「俺は男おしんだ」と語ったという。真偽のほどは定かでないが本人の知らぬところで作り固められた虚像が、滅多やたら罵声を浴びせられる状況を見た実像が、ほんの束の間に漏らした感懐だったと思う。

マスコミ的社会は実像を敢えて虚像化して見るが、本人にとっては実像も虚像も一体である。いかに強靱な精神を持つといっても、他人が勝手に作りあげた虚像であろうが、なんであろうが「自分の分身」が外界で揉み苦茶にされるさまを見て平静でいられる筈のものではない。田中元首相が当日の朝はしなくも漏らした言葉は、現実に自分が置かれた立場と自分がいままで耐え忍んできた、10年の道程を振り返った真実の感懐と受けとめることができる。

田中元首相に接触した記者たちは一様に、自分の親爺のような気がすると述懐し、俺たちが知る範囲の政治家であのように懐の大きな人物は他に見たことがないと口を揃える。記者たちをつかまえて、誰彼の別なく「おいメシ食ったか」と話しかける元首相の言葉は、遊びほうけて帰宅する時刻を失ったいたずら小僧が帰った途端、親爺からかけられる言葉でホットする情景にも似ているとも語っている。

思いやりが滲み、自分のことより他人を優先しようとする元首相本来の姿は、マスコミによって作られた虚像とは似ても似つかないものである。だが、現実巷間に流される田中イメージは、やはり権謀術策一本槍の田中であって、実像のもつ親しみ易く良い意味での親分的気質は伝わることが少ない。マスコミが気にするものに、地元新潟での田中人気がある。彼らはこの人気の秘密を地元優先の政策に結びつけてやまない。
代議士の使命は、国会議員として国政に参与すると同時に、選出して呉れた地元の利益代表でもある。田中政治を批難する者は、田中政治には新潟があって国がないと主張する。しかし新潟優先の政治はマスコミが作った田中政治で、実際新潟の近代化は全国に共通する近代化と同じレベルである。
田中時代の田中元首相は、政治の主催者であるとともに新潟選出の代議士でもあった。地元の利益代表として、出来得る限り地元に利益をもたらすのは代議士の神聖な義務である。何事につけマスコミの流れに乗ったことがらは、世間の注目を浴びる。
佐藤・三木・福田・大平各歴代首相が、それぞれ地元に造った道路・橋梁・その他の公共施設についての「対地元政策」は、特別な話題を提供しないのに対して新潟の公共投資はすぐにマスコミが取りあげて田中批判の標的にしてしまう。
この間の事情を一番よく知るのは、新潟3区7市26町村の住民を中心にした新潟県民である。新潟県民にとって、田中元首相は最も忠実な選良であると同時に、新潟のために粉骨砕身してくれる唯一人の相談相手なのだ。

周囲を見回しても判る通り、選挙の時ならいざ知らず通常の時期に有権者が議員のところに出向いても、精々秘書の応対でお茶を濁されてしまう。それでも議員に相談する場合は、それ相応なお土産が必要である。これが議員と有権者の常識的な関係である。だが、田中元首相だけは、この常識に反して有権者の立場で相談に応じている。

地元の田中人気をマスコミは、地元政策に結びつける。これに反して、地元の有権者は人気の秘密を忠実な選良の姿勢と、何にがなんでも地元に奉仕をと心掛ける代議士の姿勢に求める。現実の問題として、マスコミ勢が全力をあげて地元有権者と田中元首相の結び付きを断とうとするが、その努力は実っていない。地元にとって、マスコミが騒ぎ立てる金脈問題・ロッキード事件の批難は、真実を知る者の強さで単なるアジとしか聞こえていない。
地元の彼らは、田中元首相の実像を知るが故に、マスコミが訴えかける虚像に耳を傾けないのである。実像と虚像の問題は、世の中が情報化時代になればなるほど大きな社会問題になる。マスコミは、その性格においても実像を人びとに伝える能力はない。

国会報告・国政報告を通じて田中元首相と常に接触している新潟県民だからこそ、マスコミによって作り固められた虚像に惑わされることなく田中元首相そのもの、つまり実像を知り抜いているのだといえる。前出した記者たちの述懐は改めてマスコミの脅威を知らせるもので、人が人を理解するために必要なのは情報ではなく、心と心の触れ合いであることを証している。人びとがマスコミを媒介にして知る田中元首相は、否応なく不連続の状態で知る田中元首相である。これに対して記者たちと新潟県民は、連続した状態で田中元首相を見ている。このことから判るように人を知るうえでの基本は、連続した形で見ることに尽きる。
マスコミ情報の宿命は、その断片的な面にある。したがって国民一般 が田中元首相の実像を理解するためには、何等かの方法を使って田中元首相を連続して見る手段を講じることが肝心である。

「ヨッシャッ!」は田中元首相のコールサインである。しかしこのコールサインは、今度こそ…国民の側から元首相に呼びかける「ヨッシャッ!」にしたい。
「ヨッシャッ!ヨッシャッ!」いまさら金脈もロッキードもいらない。
お前さんがこれからやらなければならないことは、不景気のフッ飛ばしと国民本位の政治だ。貴族趣味の政治屋どもを追い散らして思う存分やって呉れ…正直なところ…いまの国民が政治に求めていることはこのことである。
田中元首相の抱いている不退転の信念と、国民一般が政治を求めている本当の部分を実現するためにはマスコミが田中元首相に被せた虚像の衣をはぎとり、どうしても実像を前面に押し出さなければならない。もう国民はマスコミの作った田中元首相の虚像に飽きた。
この辺で「ヨッシャッ!」の実像が大手を振って歩く姿を待望しているのである。

6-1:判決以後の政治と国民の期待

前章でも述べた如く、10・12判決は新しい田中時代の開幕でもある。
三審制に基づくわが国の法律は「疑わしきはこれを罰せず」を支える大きな柱で、下級審で有罪判決があったからといって被告を犯罪者呼ばわりすることは、わが国の法律を規定する根本を否定することと同じである。明治の大政治家星亨、大正の大政治家原敬は共に疑獄事件に連座し、下級審で有罪の判決を宣言された。
星亨は、衆院議長・逓信相を歴任した政友会所属の大物政治家、また、原敬は絶対専制主義の政治に反対した政治家で、寺内内閣はじめ西園寺・山本両内閣の内務相さらに政友会総裁、原内閣の首相まで歴任した大物中の大物政治家である。
両名とも疑獄事件で法律の裁きと世論の攻撃に身を晒したが、上級審での無罪判決で再び政治活動に進んだ人物である。両名に共通していえることは、彼らが法の裁きを受けた時には、それ程名前の知れた政治家ではなかった。彼らが政治家として大物の道を歩み出したのは、上級審での無罪判決からであった。
この一例を見ても判る通り、政治家の疑獄事件には常に冤罪的な要素が絡みつき、一歩誤れば罪のために政治生命だけではなく、人生や名誉まで棒に振る危険が政治家を取り巻いているということである。法律に定めることは、同時に社会一般の常識的な秩序である。
一審判決だけで田中元首相を罪人と決めつけることは、この常識と秩序を否定することで、それこそ反社会的な行為といえる。

明治の国民と世論、大正の国民と世論は、一審有罪の「星」「原」を決定された罪人に仕立てることなく、最終判決まで見守ったのである。政治家と有権者の間柄は、政治家が困っているときは有権者が助け、有権者が困っているときは政治家が力を貸すのが本来の姿なのである。明治大正の有権者は「星」と「原」に、この関係をもって応じた。
結果は周知の通りで青天白日の身となった彼らは、日本史・政治史に大きく記録される政治的貢献を果たした。若しあの時、有権者が現在の田中角栄氏と世論の関係にあったとしたら、剛腹の名を欲しい儘にした政治家星亨は生まれなかっただろうし、平民宰相・政友会の切れ者総裁と呼ばれた原敬は出現しなかったであろう。
判決後の田中元首相は、報道界史上最大といわれる規模の報道で改めて「マスコミの一斉攻撃・私刑」の標的となっている。
マスコミの私刑に呼応するが如く、政界でも「田中批判・田中いじめの嵐」が巻き起こった。マスコミもそして政界も田中批難の口実、題目は一様に「政治倫理」である。冗談いっちやいけない。政治倫理とは、彼らが鬼の首でも取ったように振り回すものとは根本的に異なり政治倫理の哲学的意味は、もっと高い次元において使われるものである。
安易な倫理主義は百害あって一利なしの格言もある通り、現代・現在の政治環境の中で倫理を唱える素地・土壌はない。極言すれば政治という巨大な象を針の穴に通そうとするのが、今日的な政治倫理である。

社会があって人間がいる以上、倫理そのものを否定することはできないが、ものごとには全て分限がある如く、倫理にもそれにふさわしい分限がなくてはならない。
倫理を重んじる余り、戦後食糧難で餓死した裁判官がいた。しかし彼は文化勲章も授与されず、司法官の鏡にもなれなかった。否…それどころか…彼の餓死は、法を護るとすれば彼のように死ななければならないのだぞということを如実に語っている。故に、餓死もせず職務に精励している他の司法官は、すべて法を破っているとイメージを社会に与えたのだ。彼は法の番人として忠実であったのではなく、法体系に反逆した異端者だったという立場に追いやられてしまった。本来、倫理とはこのようなもので、このことから導き出される倫理のありようは、過程のいかんではなく結果の大義である。
政治に金がかかるということは哀しいかな世の絶対常識である。

だがこの言葉には倫理的な矛盾がある。然るに倫理の名分をもって、特定の政治家を批難する政治勢力側も、この矛盾した政界に棲息しているではないか。
この意味からすれば、政治家全般に倫理を唱える資格は全く欠落している。もともと、政治の倫理と個人の倫理とは相反する立場にあり、それをゴチャゴチャにするから判決後の政局に見られるような混乱を生じるのである。
いま国民が政治に求めるものの大義は、田中辞職勧告決議案や反田中勢力の宣伝合戦ではない筈で、日本民族全体を飲み込んでしまうかも知れない21世紀という巨大な力に、対応する政治でなくてはならない。政治倫理の強調は、政治をより矮小化し、大事に取り組む力を政治から奪ってしまう。安易な倫理の宣伝は政治からも社会からも、活力を減退させる毒素の役割を担うだけである。

6-2:田中政治への期待

混迷する政治の現状は、何か新しいものが誕生する陣痛かもしれない。倫理、倫理で騒ぎまくった政局も、時がくればその力も萎えてやがて正常化するだろう。倫理が政治に何の貢献もしないことを知り尽しているのは政治家自身である。
この意味からすれば、判決以後田中糾弾を叫び続けてきた反田中勢力の活動は、自分たちの存在を国民に知らせるためのデモンストレーションであり、お祭りであったにすぎない。
建前は別にして、現実に政治を動かすものは力である。反田中勢力のお祭り騒ぎも要は、この力を国民に求めたものだったのだ。これに対して国民の受け取り方は、あくまでも建前と本音を区分けし、自分たちの生活を犠牲にしてまで建前に味方する気持ちはなく、マスコミの苛立ちにかかわりなく、本音の部分に味方している。
では国民、有権者が求める本音とは何か。それは新しい田中政治の待望と期待である。大多数の国民は政治を知らず、同時に田中政治の本質も知らない。ただ、国民が肌で感じている政治のあり様は、田中さんの時代は何もかも良かった。それからの三木・福田・大平さん、そして中曽根さんの政治は、中味が判らず生活も悪くなった。そろそろこの辺りで田中さんの出番を期待したい…で、ある。
プロの政治屋は、朝野の別なく理屈で政治を云々する。しかし、国民一般の期待する政治は、理屈抜きで生活が豊かになる政治である。本来政治というものはこのようなものではなくてはならない。政治をメシの種にする評論家・政治をやたら難しくする政治家の政治遊技とは無縁なものである。マスコミのロボットにされた国民一般、田中批判をすることで正義感振る政治家に一大覚醒をもたらすには、ここ一番、田中勢力の大攻撃を実現しなければならない。
田中は無罪である。
三審制の規定はこのことを明確にしている、田中追い出しを策す辞職勧告決議案は憲法と国会法に違反している。政治の倫理と個人の倫理とは本質が違う。
数の力は現代社会に公認された一つの権力である。マスコミのいう世論に根拠はなく、依然国民の大多数は田中元首相を支持している。三木も福田もそして大平も駄目だった。
田中時代が一番よかった。田中元首相の支持理由を捜すにはこと欠かない。
強行突破結構。それが男のやる仕事である。根拠のない世論に一喜一憂するなどは大物の資格ではなく、自らが世論を作ることに大物の条件がある。
歴史を見ても敗北主義で社会を制した者はなく、覇者の条件資格は、一にも二にも強行突破でしかない。破廉恥漢と呼ばれても良い、世の中すべて勝てば官軍、敗ければ賊軍であり、最後の決定は結果の大義である。今こそ、田中角栄氏は「心雲外天に置く」の気概をもって日本民族の為に身を粉にして働かねばならないし、それが田中前首相の絶対義務である。

― あ と が き ―

「道の道とすべきは、常の道に非ず」は老子の言辞である。
時は生者の思惑に関わりなく流れ来て、そして去って行く。

田中元首相の10・12判決も、この自然律の流転から見れば、一過性の一現象に過ぎない。人は幸福のとき偉大に見えるが、真の偉大さはその人の不運のときにある、ドイツの詩人シラーの言葉である。老子そして詩人シラーの言辞は、現在の田中氏に献じるふさわしい言葉と思える。ある意義において「日本の政治」田中氏の政治生活にとっても、10・12判決は新しい時代の幕開けの契機でもある。
今日の政治はマスコミ権勢の台頭という新たな局面に立たされ、この問題にいかに対時するかは今後の政治が民主主義の理念を貫くか、暗黒政治に回帰するかの重要課題に直結している。
論点を田中氏個人に戻せば、今後の田中氏は否応なく「政治家田中・被告田中」の両道を歩かねばならない。政治家田中に関しては、豊富な経験と天与の才能それと同時に、ア・プリオリ的な庶民性・創造性などから従来以上の政治的能力を発揮することに疑う余地はないが、被告田中の前途には依然として茨の要件が山積している。

法廷での闘いは建前上法学的領域に限定され、結果の可否は弁護団の諸氏がいかにして田中氏の真実を司法官に認知させるかにかかっている。一審の判決を見ても、かかる法理論的な主張が現代の不可避的宿命であるマスコミの権勢によって、歪曲させられる恐れなきとするに至らず法廷での闘いは同時に「マスコミ対策対マスコミ闘争」と不可分の関係にあるといえる。法理論の闘いは、主題の選定・法解釈の概念性・判例解釈の精神性等において争点の帰結は分岐される。
一つの仮定をあげれば、ロッキード事件の判決が10年前だったら田中元首相ら被告は全員無罪の判決を当然理として受けていたであろう。その理由の一つは職務権限の解釈で、従来の法におけるわが国の精神的座標軸の故である。他の理由は法権威と情報機関の地位関係にある。マスコミが今日的権勢を手中にしたのは、近年にすぎない。10年前と今日では、法廷に対するマスコミの影響力は天地の差ほど異なってきている。有罪判決に対して田中氏側の総意は、概してマスコミ批難で固まっている。
だが、今後継続して上級審での法廷闘争がある以上、単にマスコミ批難だけでは事態の解決は期し難い。道とは常の道ではない。百年一日のマスコミ批難は自ら墓穴の道に至る。同時に、人が新しい道に立つ場合の不可欠条件は、真の偉大性は難局に対峙したときに発揮されることの自覚にある。筆者は田中勢力の諸氏に訴えたい。田中勢力は古い殻を打ち破り、新しい田中勢力の新機軸を国民に開示すべきだ、と…。

― 後 記 ―

30年以上も前に書いた『田中事件の本質とロッキード事件の真相』を再読したいという方々からの御連絡を戴いて大変恐縮している。拙稿は、田中角栄の全てを物語ったものではない。日中国交回復から2年後に田中角栄を叩くための論文が発表された。
それは政治家田中角栄という「どでかい人物」を潰すためだけを目的とした、国の行く末など頭の片隅にもない、尻(けつ)の穴が小さく、姑息で狭量な視界を失った政治家連中とマスメディアが司法を巻き込み、国民に仕掛けたピカレスクノベルであった。
田中角栄の虚は、己の後ろに注意を払うことなく前進のみの政治家であった。
その虚を政治家とは名ばかりの狭量な連中に背後から襲われた。

田中角栄を襲った連中は、田中のダイナミックな政治力の後塵を拝するだけの立つべき位置を失い、また失いかけている極度な不安を持った連中であった。彼らが田中に向けたジェラシーが、日本を永遠に膝下に置くことを目的とする米国一部勢力の力学と合体してしまった。田中の有する政治的力学が日本を自主独立に導くとする、不安感を抱く一部の政治家と秘かにその意を受けたペンタゴンとが手を結び、その力を以て田中首相潰しを謀ったのだ。政治家として大きな力と魅力を持ち、あらゆる可能性を有した田中角栄のような人物は二度と生まれないだろう。
斯様な人物を政治とマスメディアと米国が、三位一体となって摺り潰してしまったという説が、政治と検察とマスコミの田中潰しの大合唱の間を縫って巷間を走った。

いずれにせよ以後、日本の政治は自由の女神の裳裾に纏わりつき離れられなくなってしまった。角栄の死後、命を懸けて日本を守る気概を持つ政治家は、一人として見受けられない。
田中角栄の政治力・前進力・人間力は、国民に大いなる未来の希望を示唆した。
田中角栄亡き後「日本の政治は推進力を失ってしまった」と言っても過言ではない。
拙稿は、魔女狩り的不可解なロッキード裁判を通した田中角栄元首相の一側面しか描いていないが、田中角栄のアプリオリな政治家としての人間力が民衆の心に、未来の希望と前進の気概を与えたことは確かであった。
彼亡き後、衰えた政治に民衆は頭から冷水をぶっかけられ続けて風邪っぴきだ。
日本の政治が未来を見据えた政治を布かず今のままを歩めば、国家としての自主独立の道はなく傭兵国家の道を歩むしかない。

平成28年4月4日     行政調査新聞社   社主   松 本 州 弘